いきものがかりに作詞家が必要な理由
いきものがかりというバンドがある。
僕は個人的には好きでも嫌いでもないけれど、
曲は良いと思う。
ベタだけれど、泣きメロのセオリーを踏んできて
毎度のこと「巧いなー」と感心する。
十代に人気が出るのもわかる。
しかし、同時に毎度がっかりさせられるのが歌詞。
いきものがかりの歌は、歌詞がダメすぎる。
例えば、2012年の1月に発売された「いつだって僕らは」
というシングル曲の歌詞は、こんな感じ。
いつだって 最高の感情を描いてみた
僕らそうやって純粋に夢をみた
果てしなく広がるこの空の下
僕らはその答えを見つけました大切な存在に気づいたんなら
ヒトはいつだって空を羽ばたけんだよ
伝えたい言葉達に託すんだよ
僕らの信じる道開くために
読むとわかるが、はっきり言って、意味がない。
意味がありそうでないという、「頭の悪い歌詞」の
典型例になってしまっている。
僕は常々、いきものがかりは、歌詞を外部の作詞家に
発注すべきだと考えている。
それこそが、いきものがかりの歌を
「良曲」から「名曲」に押し上げてくれるはずだと
考えるからだ。
* * *
良い歌には、メロディと歌詞が合わさって生まれる
「物語」がある。
歌が持つ物語が、聴く人の個人的な物語と共鳴することで
心に残る大切な曲となり、人生の一部となる。
ここで、図を見ていただきたい。
「名曲」とは、曲の持つ物語の中に、聴く人が個人的な
物語を入れ込むことができ、双方が共鳴し、感動を生みだす
そんな曲のことだと思う。
(最近ではSMAPの「夜空のムコウ」が良い例だろう)
植村花菜の「トイレの神様」が、あっという間に消費され、
飽きられてしまったのは、
曲の持つ「物語」があまりに限定的すぎて、聴く人が
自分の物語を入れ込む余地がなかったためだろう。
そして、現状のいきものがかりの歌を見てみると、
思わせぶりで何も言っていない歌詞だけで、物語はない。
かろうじて、良いメロディがあるために、聴く人が
自分の物語を入れ込む余地があると思われる。
しかしこれでは、心に残る歌になるには不十分だ。
聴く人が一時的に感動するためだけに、消費されるだけに
とどまるだろう。
* * *
というわけで、
いきものがかりは、歌詞を作詞家に発注すべきだ。
良いメロディはあるのだから、あとは良い歌詞さえあれば
物語が駆動するはずで、
そうすれば、後世に残る「名曲」が生まれる日も近い。
「余計なお世話だバカヤロー」(@RHYMESTER)と
言われたとしても、
関係者の皆様には、よろしく検討をお願いしたい。
このままでは、日本カルチャーの損失にもなり得ると
僕は割と本気で考えるものである。
ヤトミックカフェ
矢透泰文が主催するコンテンツサイト。
コーヒーは出しませんが、楽しい読みものをサーブ。
============================================
Think
and Listen. yatomic_Cafe 2012
---
| 固定リンク
コメント